11/11 舞台「ラブリーベイベー」@東京グローブ座(続き)

書きたいことがありすぎて、昨日は最後まで書くのを断念しましたww
というわけで、ラブリーベイベーの感想、昨日の続きです。

  • 恋司と愛斗以外の登場人物のエピソード

相手が好きすぎるが故に、ささいなことも浮気の証だと思い込んでしまう人。
そんな相手に付き合うことに慣れすぎて、ついつい適当な対応をして更に疑いを深めてしまう人。
好きな人にいつも恋愛相談を持ちかけられて、自分の気持ちも伝えられないのに、結局好きだからその相手の恋をサポートしまう人。
浮気を繰り返す相手を信じることに疲れて、そこに突然現れた別の人に安らぎを求めてしまう人。
自分ひとりでいるのは寂しいから、身勝手に浮気を繰り返していたのに、突然相手に別れを告げられて混乱し、自らにダメージを与えることで相手を引きとめようとする人。
恋愛のカタチってホントにたくさんあるけど、どれも何となく「あ〜、そうだよね・・・」って思わせるところがすごいよね。
恋司と愛斗以外だと、ハルカに届かぬ片思いをし続けるキョウコのお話が一番共感するかな〜。ハルカを思って恋司の前で泣いちゃって、恋司になぐさめられるシーンも好き。

  • 同性愛者ならではの苦悩

あんまり「同性愛カップルだから、〜」という演出やセリフはなかったものの、愛斗が性転換して女性になり、妊娠もしてしまう、っていう設定は、死ぬ直前に愛斗が「俺が女だったらお前と結婚して子供産めるのに・・・」って恋司に言った、その気持ちの現れであり、この物語の切ない要素の一つだよね。同性愛者っていうモチーフがないと、この舞台のお話がそもそも成り立たない。でも、舞台を見ている間は、そんなこと忘れていたけどね。

  • いろいろな「ごめんね」

この舞台を見ていて、一番心に残ったこと。それは登場人物たちが口にする「ごめん」という言葉の、それぞれの持つ意味。「ごめん」という一言に様々な思いを集約させることもあれば、簡単に言葉にできない複雑な気持ちを「ごめん」としか表現できないこともあった。
様々な場面で出てくる「ごめん」にいちいち引っ掛かるきっかけになったのは、恋司が死んだ愛斗を思い出して号泣するシーン。「横浜とか観覧車とか、もっといろんなところ連れて行きたかったのに、出来なくてごめんなさい」っていうセリフなんだけど、これどっちかっていうと愛斗のセリフだと思うんだよね。置いていったのは愛斗の方なんだから。
正直、この「ごめんなさい」はどう理解すべきか、答えが出ない。でも、別に違和感残ったままでもいいかな〜って、2日経ってようやく思えました。
普段の日常生活でも、様々な場面で「ごめん」って使ってるけど、少し使い方見直さないとな〜って思った。そうでないと、本当に「ごめん」と言いたいときに正しく伝わってくれない気がする。


最後に、主演を務めた健ちゃんのことを。

とある雑誌で恋司というキャラクターは健ちゃんに合わせたあてがきだろうと書かれていたが、それは間違いではないと思う。自分の気持ちに正直で、でも傷つきやすくて、その分人の痛みも一緒に分かろうとする。そんなところが健ちゃんと恋司の共通部分かな。
あと、嫌いなはずのタバコを手馴れた手つきで吸う姿に役者魂を見ましたよ。それに泣きの演技が多くて、しかも1回1回全力で泣かないといけないのは、ものすごいエネルギーを使うんでしょう。それを1日2回やるのは、それはそれは大変だと思う。
今日で東京公演は千秋楽ということで、もうそろそろ夜公演も終わりますね。引き続き大阪でもあるので、まだまだしんどい日々になると思うけど、最後まで思いっきり恋司の物語を紡いでいってほしいです。